吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)はブラジルの新聞記者番長?結婚や暴走族と少年院時代とは?【激レア】

​こんにちは。ケチャンです(^-^)

サイトにお越しいただき、

ありがとうございます。

 

異色の経歴・肩書を持つ著名人は

たくさんいらっしゃいますよね。

そんな中でも、元暴走族で少年院に入り、

その後はブラジルの新聞記者になった、

という吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

をご存知でしょうか?

 

今回は、そんな

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ブラジル新聞記者番長

そして結婚暴走族・少年院時代

についても調べてみました。

 

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吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんのチェックポイント!

1.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんの
wiki風プロフィール

2.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは
ブラジルの新聞記者番長?

3.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん
は結婚している?

4.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん
の暴走族・少年院時代とは?

 

 

目次

1.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)
さんのwiki風プロフィール

出典元:https://search.yahoo.co.jp/

 

名前:吉永拓哉(よしなが たくや)

生年月日:1977年9月22日

年齢41歳 ※2019年1月時点

出身地:福岡県福岡市

●職業:新聞記者(サンパウロ新聞社)、作家、
コラムニスト、フリーライター、画家 など

●特技:空手

●兄弟:弟(こうたくさん/絵本作家)、
妹(YURIさん/イラストレーター)

 

 

【経歴】

1977年

コーヒー会社を経営していたお父様と、

料亭を営む家の娘で合ったお母様

との間に長男として誕生されます。

 

幼少期はスクスクと育ちましたが、

元気が良すぎたのか、

中学に上がるとその元気さ(ヤンチャさ)

はさらにエスカレートし、不良仲間と

いつもつるむようになったといいます。

そして、中学校内でシンナーを

吸ってしまったことによって、

学校側から、登校拒否を言い渡されて

しまったそうです(^^;)

 

しかし、それで反省するというような

少年ではなかった

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

中学3年生になった15歳で背中

ドラゴンタトゥー
一般的に昇り龍の刺青ともいいます

を入れ、

定時制高校に進学した16歳の時

には福岡市内の指定暴走族・鬼姫

16代目副総長へと出世されていきました。

 

しかし、

高校2年生の時に高校を中退されています。

その理由は

学校内でマリファナを吸引したこと

だったそうです。

 

高校中退ごときではめげない

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは、

19歳の時暴走行為暴力事件

覚せい剤取り締まり違反をした

これをきっかけに

少年院へ送致されてしまいます…

 

少年院内では社会復帰をするために

しっかりと反省されました。

その甲斐あって、20歳で少年院を

出られています。

 

 

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~少年院を出院後・壮絶な体験~

少年院を出たあと、日本での社会復帰をせず、

南米へ渡って放浪の旅に出られました。

最初はエクアドルへ行き、

日本人の移住者が経営している

バナナ農園で働き始めました。

そこには、自分と同じく異国の地から

移住し、苦労しながら生きている人々の

姿を目の当たりにし、今までの人生観が

大きく変わったといいます。

 

しかし、元々治安のよくない地域でも

あったためか、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ある日、男好き(ホモともいう)集団に

襲われ、拉致されてしまったそうです。

その時の様子は、情報がないので

よくわかりませんでしたが、

結果的に、スキをついて間一髪脱出

されたそうです(^^;)

 

その後は、ペルーの民芸品店で働き、

ボリビアでは不法入国の誤解を受けて

連行(後に釈放)、

ブラジルのラブホテルの従業員として勤務。

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

このブラジルという国が好きになった

そうなのですが、

ブラジルに滞在中、体調不良が続いたため、

これはきっとブラジルで古くから伝わる

黒魔術(マクンバの呪いにかけられた

思い、

2000年(23歳頃)

日本へ一時帰国し、霊媒師の元で

お祓いを受けたそうです(^-^)

 

それでも南米が好きになった

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

は、この時、日本と南米の懸け橋となる

役目を担う決意をされたそうです(^-^)

 

そしてブラジルの永住権を求めて

再びブラジルに渡った

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん。

アマゾンの奥地で毒蛇や毒グモのいる

木造家屋に素泊まりしながら

ブラジル生活を送られたそうです。

 

2002年には再び日本へ一時帰国。

この時に、日本へ公務で来日していた

ペルーの元大統領

アルベルト・フジモリ氏の

SPを務められたそうです。

 

その後はまた南米へと渡り、

ブラジルではギャング団に襲われ、

命を狙われる危機にも遭したり、

ペルー、チリ、アルゼンチンを旅しながら

2004年に念願のブラジル永住権を

取得されました(^-^)

また、ブラジルの日刊邦字紙(新聞)である

サンパウロ新聞社に入社され、

新聞記者として活躍されています。

 

~その後から現在~

新聞記者となってからは

サンパウロ新聞社を地元・福岡

に支局を設立されたり、

イラストレーター、コラムニストといった

才能を生かした活動を展開。

 

さらに1990年代、ペルーの

フジモリ政権時代に起きた

テロ制圧攻撃による

民間人殺害容疑(誤認による軍への指示)

によって軍事施設へ軟禁されていた

フジモリ元大統領への面会・取材、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんして

弟さんと妹さんとの3兄弟による

イラスト・デザインの事務所

「スタジオ・エドマッチョ」を設立

されるなど、他方面に渡って

活躍されいるようです(^-^)

 

★追加情報!

2019年1月14日(月) 23時20分から

テレビ朝日で放送される

激レアさんを連れて来た。

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

がご出演されるそうですので

是非。ご覧ください(^-^)

 

当サイトにも過去、激レアさんに出演された
方々の記事がたくさんありますので
是非、お読みください m(__)m

 

激レアさんを連れて来た。出演者記事まとめ!

 

 

 

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2.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)
さんはブラジルの新聞記者番長?

経歴のところでもご紹介したように、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ブラジルの永住権を取得した以降、

ブラジルの新聞記者ジャーナリスト

として活躍されています。

 

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ブラジルの新聞記者になろうとした

理由は前述の通り、

日本とブラジルの懸け橋役となるため

だったそうです。

実際に勤務されている

サンパウロ新聞社本社はブラジルにあり、

その支社が日本の東京、福岡などに

あるようです。

 

サンパウロ新聞は

ブラジルの母国語であるポルトガル語と

日本語で書かれており、

双方の国の情勢や出来事が

2国間でわかるように書かれているよです。

 

ブラジルと日本を深く知る

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

の記事が世界中の人々に読まれ、

役立っている、と考えると

とても興味深いですよね(^-^)

 

ちなみに、番長についてですが、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ご自身でもブラジル番長を名乗っており、

その由来は、20代の頃に、ブラジルの東洋人街

通称「リベルダージ東洋人街」の

暴れん坊(=番長)だったこと、

弟さんの、こうたくさんが自身の絵本

「給食番長」を出版したことなどが

きっかけで、ご自身も名乗るようになった

とのことのようですね(^-^)

 

出典元:https://search.yahoo.co.jp/

 

 

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3.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)
さんは結婚している?

2019年1月現在、41歳の

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

ですが、

果たして結婚はされているのか?

 

ちょっと気になったので

調べてみました。

 

しかし、色々とリサーチをしてみても、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

が過去にも現在においても、

結婚をされていた、

という情報は見当たりませんでした。

 

きっと今は、新聞記者、ジャーナリスト

などといったお仕事の活動が忙しく、

ゆっくりとご家庭をもった生活を送る

という暇がないのかもしれませんね。

こちらについては、情報が入り次第、

記事を追記したいとおもいます(^-^)

 

4.吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)
さんの暴走族・少年院時代とは?

今までに触れた経歴のように、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さんは、

福岡の暴走族鬼姫」の元副総長

だったということ、そして

少年院にも入られていた、という

経歴をお持ちです。

 

まずは暴走族鬼姫」の元副総長

だった時代について調べてみたのですが、

当時のエピソードについては

あまり情報がないので、

詳しいことはわかりませんでした。

ただ、吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

当時のお写真が見つかりましたので

ご紹介します。

 

※画像左が副総長時代の
吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

出典元:https://ameblo.jp/

 

なかなか気合の入ったお姿ですね(^^;)

 

ちなみに、当時のメンバーは

  • 総長:アッ君
  • 親衛隊:ヤギちゃん
  • 特攻隊長:カシワギ
  • その他メンバー:ソエジマ …etc

だったそうで、その中の

ソエジマさん

上の画像の右にいる方だそうです

この時のお写真ですが、

ある日、疎遠になってしまった元メンバー

のうち、ソエジマさん

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

に急に連絡をくれて、

久々の再会をされた時のものらしいです。

やはり持つべきものは仲間ですね(^-^)

 

そして少年院について。

少年院に入っていたころの

詳しいエピソードは、

あまり公開されていないのですが、

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん曰く

当時はきちんと更生するために

真面目に少年院生活を

送っていたといいます。

 

当時書いた反省文が元で文章力が増し、

それが結果的に今のお仕事にも役立っている

との情報も(^-^)

 

当時の様子を描いた自書

ぶっちぎり少年院白書

も好評のようです。

出典元:https://www.amazon.co.jp/

 

普段なかなか知ることのできない

少年院という世界を垣間見ることが

できるようですよ。

興味のある方は是非、

チェックされてみてください(^-^)

 

 

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いかがだったでしょうか?

今回は、暴走族の副総長を務めた

不良少年が少年院を経て、

ブラジルの新聞記者・ジャーナリスト

にもなったという、異色の経歴を持つ

吉永拓哉(ヨシナガタクヤ)さん

を調べてみました。

これからもに日本とブラジル(南米)

とをつなぐ存在として、益々のご活躍に

期待します!(^-^)

 

今回も拙い文章&長文をお読み頂き、
ありがとうございました m(__)m

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