クリスティーン・ブライデン 認知症の症状と理解をしてほしい【ハートネットTV】

こんにちは。ケチャンです。

 

今回は、自身が認知症となり闘い続けている

クリスティーン・ブライデンさんを取り上げました。

実は私、ケチャンの母も認知症でした。

私自身の経験も踏まえて今回は、

お伝えしたいと思います。

 

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目次

クリスティーン・ブライデンさんプロフィール

氏名:クリスティーン・ブライデン

1949年:イギリス生まれ。

1995年:46歳でアルツハイマー病の診断を受ける

当時、3人の娘さんを育てていた矢先のことである。

1996年:勤めていたオーストラリア政府の官僚であった、

「首相内閣省第一次官補」を退職する

1998年:前頭側頭型認知症と再診断を受ける

1999年:現在の夫であるポール・ブライデンと再婚

2000年:認知症擁護支援ネットワーク(DASN)を結成

2003年:認知症の人としては初めて、国際アルツハイマー病協会理事になる

 

クリスティーン・ブライデンさんは

1994年、夫と離婚し、3人の子供を育てていました。

しかし、毎日のように襲ってくる激しい頭痛に何年も悩まされていたそうです。

頭痛のため病院に行き、検査を受けた結果、

認知症と診断されます。

「完全にボケてしまうまで5年もかからない。

そこからの余命は長くて3年ほど」
という医師の言葉に、未来は真っ暗に

なったそうです。

そのため、仕事は辞め、ひどく落ち込んだそうです。

しかし毎月訪ねて来てくれる友人から

認知症の人の気持ちや経験を書くべきだ

と背中を押され、「私は誰になっていくの?

—アルツハイマー病者からみた世界」

(クリスティーン・ボーデン著)を書きました。

本を書いてみると、深い悲しみから立ち直る

勇気が、少しづつ湧いてきたことに気づいたそうです。
96年には、ポール・ブライデンさんと再婚されます。

クリスティーンさんは言います。
「認知症と聞いて一般の人々が思い浮かべる

のは、最後の段階だけ。
認知症と診断されてから死ぬまでの間に

、10年も20年も認知症の人として生きる

長い旅路があることは、あまり理解されて

いません。そしてその旅路は、周りの人たちの

協力があれば、最大限に楽しむことが毎日できる」と。

「認知症」と聞くと、「高齢者がなるもの」「病気」

といったようなイメージがありませんか?

でも、認知症は「若年性認知症」という、

クリスティーン・ブライデンさんのように

40代でなる人もいるのです。

 

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認知症と一言に言ってもその性質は様々

3大認知症

①アルツハイマー型認知症

②レビー小体型認知症

③血管性認知症

諸説ありますが、認知症の根本的な要因は

はっきりとはわかっていないようです。

つまり、なぜなるのか?どうしたら防げるのか?

という絶対的な理由はわからないのです。

言い換えれば、誰でも認知症になる可能性が

あるということです。

それと、多くの人が勘違いしていることの一つに、

 

認知症と老化によるモノ忘れとは大きく違う

 

ということです。

 

詳しくは、外部リンクサイトで分かりやすく

紹介してしますので、

こちらをご覧になってください。

http://sodan.e-65.net/basic/ninchisho/

 

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私ケチャンの母も認知症でした

私、ケチャンも身内に認知症がいた者の一人です。

もし認知症について、リアリティのある話に

興味がある方は、この後の記事を読んで

いただければ、とてもうれしいです^-^

以下は、私ケチャンの母が認知症になってから

この世を旅立つまでの話を綴っていきますね。

※長文です


母は田舎の生まれ・育ちでした。

4人姉妹の長女で、妹たちの面倒もよく

みていたと聞いたことがあります。

母はとても根が明るい人で、

「明日の心配をするくらいなら

今を楽しむ」そんな考えの人でした。

母は私と兄を本当にしっかりと育ててくれました。

兄は大学入学と共に、実家を出ました。

私ケチャンは一時期、転勤で実家を出ましたが、

再度実家に戻って来た関係で、

父と母との3人暮らしが長く続きました。

 

母は元来、天然ボケ(笑)でしたので、

物事の飲み込みも悪く、時折、天然が炸裂して

家族を笑いに誘う、そんな人でした(^-^)

 

そんな母が「なんかヘンだな」と感じたのは

母が70歳手前の頃。

買い物に一人で出かけた母が、なかなか

帰ってこないことが多くなりました。

近所のスーパーに買い物に行くだけなのに

4~5時間は帰って来ない。

ようやく帰ってきた母に事情を聞くと

「途中で散歩してた」というんですね。

まあ、70歳近くの高齢者でしたから、

若い時のようにスタスタ歩けないし、

帰宅に時間がかかるのもまあ、しょうがないか。

と思いましたが、

やはりおかしいと感じた決定的な出来事が起こりました。

ある日、買いものにでかけた母が

パトカーで警官に連れられて帰ってきたのです。

 

警官に事情を聞くと、

自宅の近くでウロウロしている様子を心配し、

見るに見かねた近所の人が連絡してくれた

とのこと。

母に事情を聞くと、

 

「家がわからなくなった」

 

と。 

 

いくら天然ボケの母でも、

さすがに今までとは状況が違うなと感じました。

何かが今までとは違う。と同時に

得体のしれない怖さを感じた時でもありました。

 

それから、いろんな異変が母を襲いました。

普段からおしゃべりが好きだったので、

親戚と電話で話すことが多かったのですが、

電話機をワンタッチでかけられるよう

設定しておいたのですが、

どの番号をワンタッチするのか、がわからなく

なったようで、

一切、電話をかけることができなくなりました。

今まであれだけ明るく表情豊かだった

母だったのに、日に日に表情が乏しくなり、

明るかった母は無表情でいつもどこか一点を

見つめるような事が多くなりました。

こちらが冗談を言っても

楽しいのか、つまらないのか、

まったく表情に出なくなりました。

いつも真顔でいることが多くなりました。

そのころから、明るく元気な母は

どこかへ行ってしまったのです。

 

ある日、再び買い物に出かけた母は、

今度は近所の人に連れて帰って

もらった時がありました。

その時、買い物したものをみてみると、

全く同じ菓子パンを10個近くも

買っていたり、

レジでお金の計算ができなかったため、

全て大きなお札で支払ったのでしょう。

財布が小銭で一杯になり、パンパンに

膨れていました。

 

今まで得意だった料理もできなくなり、

ガスレンジも消し忘れるなど、危険な事が

多くなりました。

 

【悔やみきれない最大の過ち】

ここで、私が一生悔やんでも悔やみきれない

言動を取ってしまっていました。

それは

 

こんな母は病気ではない。きっと根が大雑把で

適当な性格なので、

しっかりするよるよう、厳しくすれば

母は心を入れ替えて、変わってくれるだろう

 

という間違った考えで

母に接してしまったのです。

 

おかしな行動をとる母に対して私は

「なんでこんなことができないんだよ!」

「気持ちがたるんでいるからだぞ!」

と、手こそは上げませんでしたが、

ある意味、暴力よりも、もっとひどい、

「言葉の暴力」を浴びせ続けてしまったのです‥

 

私がどれだけ厳しい言葉をぶつけても

母は、ほとんど感情を出しません。

そんな母をみて私は、

(完全にこちらをバカにしている。

なんて態度なんだ‥)

という誤った解釈を持ち続けてしまったのです。

 

ここではもっとリアリティのある表現

をすることはあえて控えますが、

とにかく母に対しては冷たく、

ひどい言葉を浴びせてしまった事は事実です。

私ケチャンも精神的に参ってしまっていた

のでしょうね。

一緒に父も住んでいたのですが、

父はどちらかというと、「我関せず」

的な人間で、面倒なことには関わりたくない

そんな性格の父にもイライラし、

ある時、感情をぶつけてしまった事

もありました。

今思えば私の心に余裕がなかった。

現状を外部に発信したり、認知症に対して

行政に相談できる窓口がある事も当時は

知りませんでした。

 

今でも、この時のことを思い出すと

涙でいっぱいになってしまって

心が痛みます。

 

ここで認知症と闘っている本人と、

回りの人との認識の決定的な違いを述べます。

 

認知症に掛かった人は

自分自身を含めて、周りの状況を

全てわかっています

何もわからなくなってしまっているという

誤った考えは今すぐ捨てて下さい。つまり、

 

認知症になった本人は

自分が今までと違うこと、

自分がヘンであるという事を

すべて理解しているんです。

でも、自分ではどうにもできない。

その葛藤と苦しみを、本人はずっと

味わい続けているんです。

 

それなのに、周りが、家族がその本人を

責めるようなことをしたら‥

どれだけ本人は苦しいことか‥‥

これは今でも悔やみきれない出来事として、

私ケチャンの心の中でずっとずっと

引きずり続けています。

 

「お母さん!本当にごめんさい!ごめんなさい!

ごめんなさい!」

何度、夢に母が出て来て、謝ったことか。

でも、ずっと母は笑って許してくれます。

夢の中ではね‥

 

その後、各地域にある行政

「地域包括支援センター」へ相談。

まず相談員さんが自宅へ来てくれて、

母の状態を診ます。

生活を送れるレベルがどれくらいなのか?

自立できるのか?他人の介助が必要なのか?

そうった事を細かくチェックしてくれた

後に、「介護認定」を受けて、介護保険で

金銭的に色々と助けてもらえるのです。

 

相談をした上で、母は自宅での生活は

困難である、という事を判断し、

運よく、すぐに入所できる地元の

介護施設へ入所し、母の面倒をみて

もらえるようになりました。

 

母はもう一人で立つことができなかった

ので、施設では車いす生活をしていました。

昔のような正常な母ではなかったものの、

自宅での、あの表情の無い母とはくらべものに

ならないくらい、元気な母に戻ったと錯覚する

ほど、元気さを取り戻して行きました。

根っからの明るい人間性のおかげか、

施設の介護士さんやスタッフさんを

笑わせるほど、ユニークな行動を

取ったりして周りを和ませていました(^-^)

 

週に1~2回のペースで母を見舞いに行くと、

自宅で苦しんでいた母とは比べ物にならないほど、

明るく、いつも笑顔で私を迎えてくれました。

母は、私に気づくとニコニコしながら

車イスで近づいて来て、

「今日は休みなの?」と聞いてきます。

私が「休みだよ」と返すと

「そうなんだ。」

数秒後に「今日は休みなの?」と同じ

質問をします。

この同じやり取りを延々と何分も

繰り返すのです(笑)

それでも良かったんです。

生きてるのか死んでるのかわからない母

よりは。

かみ合わない会話でもいい。

笑ってくれるだけで十分でした。

母はコーヒーが大好きだったので、

見舞いの時は必ずコーヒーを持って行って、

一緒に飲みました。

一口飲むと笑顔でニコニコしながら

「美味しいねー!」と言ってくれました。

ほぼ一気に飲んでしまうので

私が「もっとゆっくり飲みなよ」

というと、母は

「美味しいねー!」と、相変わらず

なんだかかみ合いません(笑)

私の分もあげるとそれも美味しそうに

飲みます。

母は「もっとちょうだい」というので

私が「もうないよ」というと

母は「そうなんだ」と答えますが、

しばらくすると「今日は休み?」と

聞いてきます。

延々ループの会話が始まるのです(笑)

 

【母の容体の変化】

母が71歳の誕生日を迎えるころ、

半日以上は寝たきりになり、

食欲もあまりなくなってきました。

 

ある日、肺炎にかかり、医師の診断も

「あまり長くないからもしれない」

と聞かされていました。

ある日。仕事に行こうと準備した私の携帯へ

施設から連絡があり、

「危険な状態だから早く来てください!」

と言われ、急遽休みを取って車を走らせました。

 

幸い、危篤状態は回避し、その日の昼頃に

一旦引き上げましたが、再度施設から連絡があり、

再び母の元へ。

母はうつろな表情で天井を見つめていました。

声をかけると、私に気づき、

こちらをみたのですが、

痰が絡んでとても苦しそうでした。

意識も半分無いような状態でした。

そして私と医師と、介護士さんとスタッフさん

が見守る中、母は静かにあの世へ旅立ちました。

 

医師の先生と介護士さんにお願いし。

暫く母と二人きりにしてもらい、

母の部屋で、母の手を握りながら語りかけました。

 

お母さん。よく頑張ったね。

今まで本当に辛かったね。

今まで本当にありがとうね。それと

今までひどいことを言って本当にごめんなさい‥

 

こうして記事を書いているだけでも、

涙が止まらないです‥

 

なんでもっと早く母の異常に気づいて

対処してあげられなかったのか。

なんでもっと親孝行をしてあげられ

なかったのか。

 

死んでしまったら、謝る事もできないし、

優しくしてあげることも、もうできません。

 

最後に

認知症の実態というものは未だ、はっきりとは

解明されていませんが、

今回取り上げたクリスティーン・ブライデン

さんのように若くしてなる方もいるのです。

私ケチャンの経験から感じたことは、

普通に歩けること、走れること、

食べられること、話せること、笑うこと、

怒ること、人を好きなること‥

普通に生活できていることがいかに幸せで

すごいことか。

改めて考えてほしいんです。

 

もし、あなたの周りに認知症と闘っている人

がいたら、早く専門機関に相談してください。

今はインターネットが普及していますので、

「認知症 相談」だけでもあらゆる情報が

手に入ります。インターネットが使えなければ

とにかく一人で悩まずに誰かに話すだけでも

全然違うものです。

そして、認知症は病気ではなく、

一つの症状として認識し、

認知症になった本人が一番苦しんでいる

ということを知ってください。

これを理解しているだけでも、

本人に対する接し方が大きく変わります。

 

※2017年10月17日(火)・18日(水)

20時00分~20時30分

NHK Eテレ「ハートネットTV」

シリーズ 認知症 当事者とつくる新時代

絶望から権利へにてクリスティーン・

ブライデンさんがご出演されます。

クリスティーン・ブライデンさんや

認知症に興味を持った方は、是非

ご覧になってみてください。

 

今回も拙い文章&長文をお読み頂き、

ありがとうございました。コメントも随時

お受けしていますので、

気軽に書いて下さいね。運営者 ケチャンm(__)m

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