荻上チキのプロフィールや家族は?また、結婚はしているのか?【ハートネットTV】

 

出典元:https://pinky-media.jp/I0003716

 

 

こんにちは。ケチャンです。

荻上チキさんは日本の評論家・編集者です。

具体的なプロフィールや家族、結婚はしているのか?

など、色々と調べてみました。

 

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目次

荻上チキさんプロフィール

  • 氏名:荻上チキ(おぎうえ ちき)
  • 生年月日:1981年11月2日(35歳)
  • 出身地:兵庫県
  • 出身高校:埼玉県立浦和西高等学校
  • 出身大学:成城大学文芸学部卒業、
    東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。

 

その他、特定非営利活動法人「ストップいじめ!ナビ」

の代表理事も努められています。

 

【略歴】

IT企業での勤務経験を経て、株式会社「シノドス」を設立。

ブロガーとして複数のウェブサイトやブログを運営。

また、評論家としてインターネット社会の様々な問題をはじめ、

いじめ、フェミニズム、政治、経済、サブカルチャーなど

幅広く言及しているそうです。

その他、編集者や大学の講師としても活動しているようです。

 

家族や結婚について

荻上さんは、奥さんと二人のお子さんの4人家族だそうです。

 

が、

 

文春砲によると、荻上さんの不倫によって、

現在、協議離婚のための過程にあるとのこと。

文春砲によれば、荻上さんは自分の教え子に好意を抱き、

結婚しお子さんもいる身でありながら、

今でいうゲス不倫をしてしまったそうで、

荻上さんから奥さんに対して離婚を申し立てたとの事で、

荻上さん自身も不倫を認めているようですね。

今っぽいというか、なんというか‥苦笑

 

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ケチャン的考察

※NHKのEテレ

「ハートネットTV WEB連動企画“チエノバ”

▽精神科病院の“身体拘束”を考える」

2017年9月7日(木)  20時00分~20時30分

に荻上さんがコメンテーターとして

出演されます。

 

今回は、荻上さんについての情報に加えて、

番組内容の「身体拘束」について、

ケチャン的考察を表したいと思います。

 

今回の番組のテーマである

「身体拘束」ですが、

日本の精神病院に入院したニュージーランド人の

ケリー・サベジさん(27)が、入院中に心肺停止し、

急死したそうです。

報道では。病院側の不適切な身体拘束が

原因だったのではないか?と疑問視されていますが、

病院側では死因につながるほどの身体拘束はなかったと

疑惑を否定したそうです。

 

身体を長時間拘束することで、

体の一部の血流が悪くなり、

血流の悪くなった部分と関係する箇所に

血栓(地の塊)ができて、血流障害が起こり、

(今回のケースでは)灰の血管が詰まり、

心肺停止状態となったのではないか?と

考えられています。

※エコノミークラス症候群も同様の状態に近いものです。

 

今回死亡したケリー・サベジさんさんも

元々、精神疾患があったことから、

入院当初より、足・腰・手首の拘束がされていたようです。

 

出典元:https://www.buzzfeed.com/jp/eimiyamamitsu/kelly-savage?utm_term=.yuvogGK3qp#.rdqWpxZRv9

 

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身体拘束は必要か?の是非

 

そもそも、身体拘束というものは

メンタル的にも、フィジカル的にも

拘束されている本人にとってはものすごく

苦痛を伴うものです。なので本来、身体拘束は

してはならないものと考えます。

しかし、今回のような、精神疾患があったり、

認知症のような症状があったりした場合、

「ある程度の身体拘束が必要な、やむを得ない

状況の場合のみ、最低限の身体拘束は行われている」

ことは決して少なくないようです。

 

実は、ケチャンの母は4年ほど前に亡くなったのですが、

母は亡くなる5年近く前から、認知症を発症していました。

ある時、一人で散歩に出かけ、出先で転倒し、

救急車で地元の病院へ入院しました。

「硬膜外血腫」という状態で、簡単に言えば

脳内出血のようなものでした。

幸、その時は命に別状はなかたのですが、

発症していた認知症がさらに悪化し、

入院していた病棟で、夜中にベッドから勝手に起きて

ボーっと立ったままの状態になるなど、転倒や他の患者への

二次的な危険性がある場合は、やむなく

最低限の身体拘束をする、と病院から説明がありました。

よって、寝る前にはある程度寝返りくらいは打つ事のできる

主に腰を拘束する帯ベルトがベッドにつけられました。

ある日、昼間にお見舞いに行くと、

日中でもそのベルトはつけられていて、

せめて、家族が見舞いに来た時くらいは外してほしいと

申し出て、毎回、外してもらっていました。

 

母の事を考えると、身体を拘束されている状態は

あまりにもかわいそうで、窮屈だったので、

毎回、母に会いに行くたびに、心を痛めました。

 

「こんな状態にさせてしまって、ホントごめんね。お母さん」

 

話しかけても、母はベッドでずっと天井を見つめたままで、

答えてくれませんでした。

その後は、数ヶ月した後に、地元の医療・介護付き

施設に入所でき、(母は歩く事ができなかったので車いすを自ら操作して)

車いす生活を始めましたが、施設の雰囲気や職員さんがとても

良くしてくれたので、そこで数年後に安らかな最期を迎えて

天国へ旅立ちました。

 

話が長くなってしまいましたが、

「身体拘束」は家族や本人からすれば、絶対反対なのですが、

一方で、周りの人達や状況によっては、

仕方なく行わなければならないこともあるのも事実です。

ケチャンの母の場合でも、夜中に勝手に立ち上がって

転倒して大けがをすることだって考えられたわけですから。

 

ただ、

ケチャンの母のような、認知症において言えば、

発症した本人は、自分がどういう状況なのか、

ちゃんと理解しているものなのです。

自分がなんなのか?どういう状況なのか?なにもわからないのでは

なく、「自分がなんか今まではちがう、おかしい」ことも

わかっているし、身体拘束されていることも

わかっている。

だからこそ、身内からみてても、可哀想で可哀想でなりませんでした‥‥

 

だいぶ話が脱線してしまいましたが、

今回のまとめとして、

身体拘束の是非については、

「一概に良い・悪い」と決めつけるのは難しく、

ケースバイケースによる。とケチャンは感じました。

(もちろん、拘束しないに越したことはないのは言うまでもありません)

 

今回も拙い文章&長文をお読み頂き、

ありがとうございました。

コメントも、随時お受けしてますので、

気軽に書いて下さいね。

運営者 ケチャンm(__)m

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